2010年10月28日

坂本龍馬は薙刀の達人だった

それは龍馬が安政五年正月に授与された免許に関してのことで、
彼の遺品として残されている北辰一刀流の目録が『北辰一刀流長刀逆援交兵法目録』のみである、
という点です。

この「長刀」という言葉は、従来「短刀」(小太刀)に対するものであるとされていたのですが、
実際には「薙刀」(なぎなた)を指す文言であると言う解釈です。

要するに「龍馬が受けた免許皆伝は薙刀に関するものだけなのだから、
その剣の腕前は大したものではなかった」のだ、
という見方に立った人たちの傍証となっている訳ですが、
龍馬が敢えて千葉佐那が連署している長刀免許を大切に保管しようとしていたからこそ、
その目録だけが後世に伝えられたと考えることも可能です。

実際、後年、彼は若き日の陸奥宗光(むつ・むねみつ、1844〜1897、「三国干渉」の時の外務大臣)を評して『弐本差し(刀)でなくても飯が食っていけるのは俺と陸奥の二人だけだ』と語っているほどですから、自分が修行した剣術(刀=武士)の世は既に時代遅れの代物になっているという強い意識が龍馬の中にはあったのです。

ただ、当時としては異例の免許目録への佐那の連署は、千葉家が家ぐるみで龍馬を迎え入れたい、
という意思表示だったからこそ、龍馬は「長刀目録」を大切に保管していたと想像してみたいのです。(免許皆伝とも言える「目録」に、女性が道場主に並んで名前を書き入れるということは当時の慣習として極めて異例)もっと言えば、剣の修行を積み重ねたからこそ、剣(古い体制、考え方)で世の中を変革することは出来ないのだ、と確信し得たのではないでしょうか。

事実、彼は、その生涯で実際に剣を抜いて戦ったことは一度としてありませんでした。

坂本龍馬は剣術の達人もしくは剣豪だというイメージが強かったのですが、
まさか戦った事もないなんて知りませんでした。


posted by さるー at 17:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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